「国家と宗教」を音読して。
「国家と宗教」
保坂俊司著
保坂先生の著書は「宗教の経済思想」に続いて二冊目です。
「宗教の経済思想」と同じくキリスト教、イスラム教、仏教を比較し、そして明治以降の日本の宗教について総括するという形式です。
原則的な先生の視点であるセム的宗教と、多神教、そして多神教とは違う思想で他宗教への排他的思想を持たない仏教の相違点を歴史、社会学を通じて論じられています。
宗教を考えるうえでは非常にわかりやすい比較論です。
この本は宗教を通じて、日本という国の「異質」さが語られています。
特に明治維新を通じて、恣意的に廃仏毀釈を政策として行い、それまでの日本のベースである多神教や、排他的ではない仏教の思想を変換させ、天皇を頂点とする古代セム的な宗教を強引に持ち込んだ明治政府の行動は歴史学としても改めて研究する価値があると感じました。
セム的宗教の特徴は「排他」「拡張」です。
確かに歴史をふりかえると、豊臣秀吉の朝鮮出兵をのぞいて、歴史的には侵略戦争を行わなかった日本が、明治以降、狂気とも思える侵略戦争に踏み込んでいったのは決して偶然の一致ではないように思われます。
日本人の持つ宗教観が一変したのは、明治維新後の急激な宗教に対する政治の接近(あるいは利用といってもいいかもしれません)とそれが導いた悲惨な結果にあるのでしょう。
昭和以降、日本人にとって宗教はタブー視される存在です。
一方で、世界は中東の争乱を中心に「宗教戦争の時代」です。
日本人は最近、グローバルスタンダードという言葉をよく使いますが、真の意味でのグローバルを考えるならば宗教についての理解がなければ、全く通用しないと私は思います。
「多様な考えを認める」という考え方は西欧を中心とするセム的宗教の国にはないのです。
日本人特有の宗教観は、世界においてはガラパゴスなのだということを我々は自覚した方がよいでしょう。
では日本はどうしていけばいいのか?
本書ではそこについての言及はありません。保坂先生ご自身も、まずはこの書がそれを考える第一歩だと位置づけていらっしゃいます。
むしろ、この書を読んで、わたし達自身がいろいろな方向から「考えてみる」ということが必要なのでしょう。
私個人としては、明治以前、つまり江戸期を社会学的に研究することが激動する今の時代に通用する多くの学びがあるような気がしています。
次は歴史の側面から宗教というものを捉えてみたいと思います。
